キョーテックグループのあゆみ1 History of KYOTECH Group
原点にあるのは、受け継がれる京の美意識です。
1933年、京都に友禅型紙彫刻業として創業した私たちは、伝統技術を成長分野へ生かし、事業の幅を広げてきました。
手彫りによる精緻な型紙彫刻技術から、特殊印刷技術へ。
繊細な模様と豊かな表現力。
その技術と表現への美意識は、内装用不燃化粧板として今日まで受け継がれています。
1933年1月
「佐野意匠型紙店」創業
京都市中京区にて「佐野意匠型紙店」として個人創業。 友禅型紙彫刻業を行う。
1953年8月
株式会社に改組、「株式会社佐野染色紙芸工房」発足。
同時に、従来の友禅型紙彫刻とともにスクリーン写真型部門を併設。
住宅用建材の開発
友禅型紙を「売る」から「生かす」へ。
友禅型紙彫刻、スクリーン型製造業において日本一の会社へと成長した頃、創業者 佐野義男が胃疾患で入院する。入院中、病室の殺風景なしっくい壁を眺め、精神的に安らげる空間づくりの重要性に気付き、色、柄のある住宅建材をひらめく。友禅型紙を「売る」から「生かす」発想へシフトし、型紙意匠を用いた住宅用建材の技術開発に取り組み始める。
船舶向け内装材「キョーライト」発売
船舶内装材と言えば、キョーライト。国内シェア8割
内装用化粧材「キョーライト」(商品名)を開発、発売。長年蓄積した2万点の友禅柄のパターンを印刷した多様な意匠性と耐水性、耐久性などの性能面を保持した壁材は、それまでの日本には存在しなかった。そして、青函連絡船、宇高連絡船の天井材、壁材として採用されると、その意匠性と性能で日本中に評判が広がり、「キョーライト」は造船・客船フェリー向けの内装材として、国内シェア8割にまで達した。
1962年7月
「内装用化粧板」の製造、加工を開始。
京都市南区吉祥院に、工場新設。スクリーン型の技術を応用した色・柄自由な「内装用化粧板」の製造、加工を開始。
1965年4月
「株式会社佐野紙芸」と改称。
1969年12月
建材事業部(現 インテリア事業部)の営業部門を分離し、販売会社として「株式会社キョーライト」を設立。
住宅関連分野への進出
過酷な環境にこそ、やすらぎを。
船舶向けの内装材から住宅関連分野へと販売の重点を移すようになる。過酷な環境にこそ、美しい化粧板で安らぎを与えるべく、住宅の中でも水廻り、火廻りなどの場所へと特化し、ハウスメーカー様などの浴室、洗面室においてシェアを確立。また、同時期に発売した、高級建築材料「キョーライトライトパール」は百貨店、家具などに多く採用され、建材事業は大きく前進する。
1977年11月
京都市南区久世に、工場新設。 和装部門、スクリーン写真型部門、を同地に移転し、集約統合。
1982年7月
T.Q.C(トータル・クオリティ・コントロール)を導入。
1984年7月
(株)キョーライト 西日本営業所開設。現福岡支店。
内装用不燃化粧板「アーバンシリーズ」発売
思わず触れてみたくなる。立体表現の妙。
技術展開はさらなる進化を続け、スクリーン印刷技術とUV塗装による内装用化粧板「アーバンS」を発売。多色で立体的、深みのある質感を実現したアーバンSは、それまで平面的で単調なデザインが主流であった化粧板の概念を覆す。
“超鏡面”の美しさ。日本初、「キッチンパネル」。
質感表現の美しさを追求し、超鏡面仕上げを施した内装用化粧板「アーバンG」を発売。優れた性能、他社には真似できない”超鏡面”の美しさが高く評価される。90年代に入ると、「アーバンシリーズ」が日本で初めてキッチンメーカー様に採用される。 その後、他社キッチンメーカー様の採用が相次ぎ、日本で最初の「キッチンパネル」を確立。現在、キッチンメーカー様における「キッチンパネル」のシェアは国内トップを誇っている。