鳳凰のとまる木
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今月の型紙

    桐1
    桐2
     桐紋は歴史上、皇室や武家が紋章として使用してきました。武家の使用が許されたのは足利尊氏(1305-1358)が後醍醐天皇から下賜されてからといわれています。その後、足利将軍家から豊臣秀吉などに与えられました。現在も継承される「桐矢襖文辻ヶ花染道服」は、豊臣秀吉(1537-1598)が小田原攻め(1590年)に際して東北から参加した南部信直の労をねぎらって与えたものだといわれています。肩と胴に秀吉の紋である桐が染め抜かれています。なお現在は、首相が会見する際の演台で「五七の桐」を目にする方も多いのではないでしょうか。 高貴な紋である桐ですが、型紙のなかではどのように用いられているのでしょうか。いくつかご紹介していきたいと思います。


    chapter1

    桐に鳳凰

     はじめに紹介する型紙は、鳳凰と桐の組み合わせです。鳳凰は、古代中国において四瑞(麟・亀・龍・鳳凰)として尊ばれた想像上の瑞鳥で、桐の木に宿るとされました。儒教の基本的文献の一つである『詩経』にも「鳳皇鳴矣、于彼高岡、梧桐生矣」とあります。そのため、桐と鳳凰の組み合わせは吉祥的な意味合いが強くなり、意匠としても描かれることがしばしばありました。古代中国に端を発する桐と鳳凰の組み合わせは、型紙にも脈々と受け継がれていることがわかります。なお、この型紙は桐も鳳凰も一定の細さで輪郭線が彫刻されています。そのため、突彫か、二枚刃によって輪郭線などを彫刻する二梃(にちょう)によるものかもしれません。(KTS08950)
    chapter2

     次に紹介する型紙は、全体に桐が配されています。こちらは、すべて突彫と呼ばれる薄く鋭く刃先を整えた彫刻刀によるものでしょう。また、型紙の多くを彫り抜いているため、彫刻した桐が抜け落ちてしまわないよう、それぞれの桐がつながるように彫刻されています。そして、反物が染め上がったときに上下が決まってしまわないよう、桐は上下、斜めなどさまざまな方向にむいていて、どのような方向に布地が使用されても不自然にならないよう工夫されています。(KTS00371)
    chapter3

     最後に紹介する型紙は、錐彫によるものです。彫刻刀の刃先は半円か円に整え、型紙にあてて回転させることにより非常に小さな孔を彫刻する技法です。完成した型紙も小さな点が桐の輪郭線を構成しているので、目を凝らしてみないとわかりません。簡略化した輪郭線ですが、桐とわかるように彫刻されています。(KTS04681)
     古代中国から日本へ伝わった桐。長い年月を経てさまざまにアレンジされながら、現在まで継承されてきています。
    【参考URL、参考文献】
    並木誠士監修『日本の伝統文様』東京美術、2006年
    文化遺産オンライン「桐矢襖文辻ヶ花染道服」
    http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/130927
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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