晩春を彩る
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今月の型紙

    藤1
    藤2
     毎年、4月から5月にかけて藤の花が見頃を迎えます。日本各地に名所があるため、藤の花を見に出かけるという方も多いのではないでしょうか。藤は、『枕草子』(1000年頃成立)にも「藤の花は、しなひ長く、色濃く咲きたる、いとめでたし」と花の美しさが紹介されています。このように古くから文学にも登場しているため、長い間日本で親しまれている植物といえるでしょう。また、藤の蔓からは繊維をとることもできます。かつては、藤の繊維から糸を紡いで製織する藤布が各地で生産され、生活のなかで使われていました。
     藤の花は美術・工芸品の中にデザインとして多く使用されますが、型紙の中ではどのように使われているか、いくつかご紹介したいと思います。

    chapter1

    藤立涌に向鶴菱

    はじめの型紙は、藤の花と鶴を組み合わせた比較的大きな柄です。型紙は、柄を送りながら使用されるため、藤の花は、波のような曲線をつなげた立涌文様となります。二羽の鶴が向かい合って菱形の中におさまる「向鶴菱」として構成されています。藤の花は輪郭線のみ彫刻する箇所と全体を彫刻する箇所にわかれていて、コントラストがはっきりしています。鶴の羽根や胴体も細かく彫り分けられています。(KTS02010)
    chapter2

    藤に変わり亀甲

     次に紹介する型紙は、藤の花と蔓、亀甲が組み合わされたものです。藤の花と蔓が背景に曲線的な表現をされる一方、亀甲は大きく三つ配されます。亀甲(角がくぼんでいて、少し変わった形の亀甲ですが)は直線で構成されるので、藤とは対象的となっています。また、亀甲の中は七宝や麻の葉で充たされています。
     なお、この型紙は細く彫り抜いている箇所が多くあるため、補強のための絹糸が入れてあります。この補強を「糸入れ」といい、型紙と型紙の間に細い絹糸がはってあり、その糸により、型紙が壊れてしまうことを防いでいます。(KTS05418)
    chapter3

    藤の丸に薄

     最後に紹介する型紙は、薄と藤の花を組み合わせています。型紙の大部分を彫り抜き、輪郭線のみを残しています。このような型紙の大部分を彫り抜くデザインは、少しでも間違うと、モチーフが切れ落ちてしまいます。一見するとわかりませんが、実は非常に計算されて彫刻されているのです。
    藤の花は大きな丸になっていて、家紋のような形式です。大きい花弁から徐々に小さくなっていきますが、形はどれも変わらず一定に彫刻されています。花弁の大きさを変えることにより、花の丸が平面的ではなく、立体的に見えるよう工夫されたのかもしれません。(KTS12238)
    藤の花を使った型紙を一覧してみると、小紋で表現されたものが少ないように感じられました。紹介した型紙も比較的大きく藤の花を配していて、どれも突彫によるものだと思われます。理由は定かではありませんが、型紙の中ではデザインとして大きく配することが好まれた植物なのかもしれません。
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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