晴れの門出を飾る 桜
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    桜1
    桜2
    3月から4月は卒業式や入学式など、門出を祝う行事が盛りだくさんです。晴れの門出をより一層華やかにしてくれるのは桜です。また、桜の名所には毎年数多くの人々が訪れ、春の訪れを感じる恒例行事となっています。
    桜は古くから愛好され、『記紀』や『万葉集』にも記されています。そのため、桜をデザインに取りこんだ作品は数多く、衣服や調度品、武具などさまざまです。たとえば、「桜流水模様小袖」などのように、上部には桜と霞、下部には桜に流水が組み合わされた小袖が現存しています。
    文化遺産オンラインhttp://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=251819
    chapter1

    桜と霞

     桜を使った型紙も数多く確認できます。
     上の型紙は桜と霞、背景として縞が彫刻されています。縞としても自然に表現し、かつその中に霞と桜を入れて彫刻していく、技術の高さがうかがえます。
    chapter2

    桜と唐草

     上の型紙は、桜と唐草が彫刻された型紙です。唐草は小孔を彫り抜く「錐彫」、その他は「突彫」と呼ばれる鋭く尖った小刀を上下に動かしながら彫刻する方法で表現されたと思われます。唐草は、牡丹や桐などと一緒にデザインされる美術工芸作品が多いのですが、図2の型紙は桜と唐草が組み合わせになっています。
    chapter3

    桜の花と蜘蛛の巣

     三つ目の型紙は、桜の花と蜘蛛の巣が彫刻されています。花弁の中に蜘蛛の巣という何とも不思議な組み合わせに見えますが、実は文学的な背景が隠されているそうです。
     近世前期の小袖(着物)や美人画には、蜘蛛の巣文様がしばしば登場します。先行研究によると、蜘蛛の巣文様の典拠として『徒然草』や『伊勢物語』があげられており、蜘蛛の手のように多方面に思いが及ぶ、あるいはあれこれ思いをかけるという意味が含まれているそうです。そして、蜘蛛の巣に桜の花が加わると、また別のイメージが形成されます。
     『伊勢物語』や謡曲『井筒』には、河内の国高安の里に住む女のところへ通う夫に、恨みもいわず、思いを歌に託し夫の身を案じる妻を主題としたものがあります。この主題からは、登場人物や背景を連想する「蜘蛛の巣に菊文様」がイメージとして創り出されたようです。そして、「河内通」(高安通)とも呼ばれる主題は、歌舞伎にも取り入れられて人気を博し、人々の間に広まりました。さらに、人々の間に物語が定着すると、別のイメージが生み出されました。
     「河内通」に登場する思い人をじっと耐えて待つような女性が、謡曲『井筒』や『伊勢物語』にはさらに登場します。その女性は、桜の季節に想い人を待っていたので、蜘蛛の巣と桜の花の組み合わせが、待つ女性、貞淑な女性を表す文様とされたようです。
    三つ目の型紙の型紙は、おそらく江戸時代末から近代に制作されたものですので、デザインの視覚的な意味は変わっていた可能性もあります。しかし「蜘蛛の巣に桜文様」というデザインは脈々と受け継がれてきたことがわかります。
     モチーフ同士の「組み合わせ」によって、デザインのもつイメージが広がっていく様子がわかります。
    【参考文献】
    『演劇百科大事典』3 早稲田大学演劇博物館 1963年
    藤井享子「『菊に蜘蛛の巣』文様とその周辺」『服飾美学』 2002年
    吉村佳子「蜘蛛の巣文様の展開―中世における」『服飾美学』2005年
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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