気品溢れる華麗なる文様 牡丹
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    牡丹1
    牡丹2
     大輪の花を咲かせる牡丹は、中国原産で平安時代頃には日本でも栽培されていたといわれています。「花の王」ともいわれる牡丹は、文学や美術作品、きものにもしばしばとりいれられました。また、唐草や獅子などと組み合わせて用いられることが多く、型紙をとりあげてみても「牡丹唐草」の組み合わせが数多く確認できました。
    chapter1

    牡丹唐草

     こちらの型紙は、唐草と牡丹を組み合わせで制作されたものです。彫刻の技法は、「突彫」によるもので、刃先の鋭い彫刻刀を使用することにより曲線を自由に表現しています。こちらの型紙はかなり大柄なので、布団用に制作されたのかもしれません。また、この型紙は型紙を彫り抜く部分が多いため、型紙が切れてしまわないよう、型紙同士が繋げて彫刻されています。(KTS02400)
    chapter2

    牡丹、昇り鯉に三筋格子

     次に紹介する型紙は、牡丹と昇り鯉、三筋格子の組み合わせです。ここから連想されるのは、歌舞伎役者の市川団十郎ではないでしょうか。なぜなら、「杏葉牡丹」という牡丹の花の上側に葉を描いた紋は、市川団十郎の替紋であり、「三筋格子」は三升紋をアレンジした模様として知られているからです。歌舞伎役者を描いた錦絵には、市川団十郎の姿とともに、家紋をアレンジしたようなデザインの衣裳がしばしば描かれます。

    「忠臣蔵十段目」「義平 市川団十郎」arcUP4170 立命館大学ARC蔵
     例えばこちらの役者絵は、七代目市川団十郎が『仮名手本忠臣蔵』十段目に登場する天川屋義平を演じる姿です。衣裳に目を向けてみると、きものには牡丹の花と三升を傾けて角の部分だけを取り出した図形が描かれます。また、腰に提げる煙草入れの留め具も牡丹の花です。ちなみに、帯の蝙蝠、きものに描かれる瓢箪も市川家を連想させる模様なので、全身に市川家と関連する模様が描き込まれています。このように、型紙と役者絵を並べて見ると、歌舞伎はデザインにも影響を与え、一般の人々にも浸透していたことがよくわかります。(KTS01111)
    chapter3

    牡丹

     最後に紹介する型紙は、全面に牡丹の花が配されています。この型紙は、「錐彫」という半円形をした彫刻刀を型紙に押し当て、半回転させて小さな孔を彫刻する技法によるものです。この型紙には2種類の径が異なる彫刻刀が使用されているようです。牡丹の花の輪郭線は少し径の大きな彫刻刀を使い、花の形がわかりやすくなります。また、花弁も輪郭線の内と外で彫刻する面積を調節することで、牡丹の花がはっきりと際立つよう工夫されています。(KTS07072)
     型紙に使われるモチーフの多くは、大小さまざまにアレンジして使われますが、牡丹は比較的大きな柄で使用されていました。大輪の花である牡丹は、デザインとして使う場合も華やかで威厳があるので、大きな柄の方が好まれたのかもしれませんね。
    【参考URL】
    立命館大学ARC所蔵浮世絵データベースhttp://www.dh-jac.net/db/nishikie/
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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