富の象徴 分銅
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    分銅1
    分銅2
     分銅とは、秤を使って重量をはかるときに基準として用いる金属でてきたおもりのことです。その形は、やがて文様として親しまれることとなりました。

    「ふんとうにきく」『当流/紋帳図式綱目』宝暦12年(1762) 立命館大学アート・リサーチセンター

     分銅は、図のように円を描いて左右を小さな円形に切り取ったような形で描かれます。こちらは、家紋として紹介されていて、菊の花との組み合わせになっています。

    chapter1

    宝づくし

     このほかにも分銅は宝づくし文様の中で使われることもあります。この型紙には、七宝や丁字、打出の小槌、宝珠、笠、鉤などとともに分銅も彫刻されています。こちらの型紙は、錐彫とよばれる半円形に整えられた彫刻刀を半回転させて小さな孔を彫刻する技法によるものです。この型紙の場合は、径の大きさが2種類あるので、異なる径の彫刻刀を使用していたことがわかります。小さな円が曲線をつくっているので、とてもかわいらしいデザインの型紙になっています。(KTS03042)
    chapter2

    松葉に分銅

     こちらの型紙は、松葉が型紙全体に散らされています。一見すると分銅がどこに隠れているかわかりませんが、実は背景全体が「分銅繋ぎ」や「分銅菱」と呼ばれる文様で構成されています。分銅繋ぎは、菱形がやや曲線的になったような形で連なっていますので、背景に使われる場合がよくあります。
     こちらの型紙は「突彫」と呼ばれる刃先を薄く、鋭く整えた彫刻刀を使う技法によるものでしょう。線の太さや直線、曲線の彫刻に調整がきく彫刻技法なので、松葉の曲線と分銅繋ぎとが接する箇所もごく自然に彫刻されています。背景と前面の松葉とが不自然にならないよう、彫刻されていることがわかります。また、分銅繋ぎが背景にあることにより、松葉が浮かび上がってみえる点も特徴的ですね。 (KTS05135)
    chapter3

    梅に分銅

     最後にご紹介する型紙も背景に分銅繋ぎを使っています。こちらの型紙も突彫によるものでしょう。分銅繋ぎの内部は青海波と呼ばれる文様で、同心円状に扇形が連なっています。一方、分銅繋ぎの輪郭線は、縞で構成されているので、直線と曲線のコントラストが際立つのではないでしょうか。
     前面に配されている梅は、背景とは異なり、やや型紙を彫刻する面積が少なくなっています。彫刻する面積に緩急をつけ、梅が前面に出てくるよう調整されていて、デザインに立体感が出ているのではないでしょうか。 (KTS07861)
     もともとは重さを量るための基準であった分銅。やがて文様として取り入れられると、主役としても脇役にとしても登場するモチーフとなりました。実用とデザインにおける役割がかけ離れてしまいましたが、今も広く親しまれています。
    【参考文献・URL】
    沼田頼輔『日本紋章学』
    立命館大学アート・リサーチセンター所蔵・寄託品 古典籍データベース
    http://www.dh-jac.net/db1/books/search.php
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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