身の回りにある文様 七宝
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    団扇1
     同じ半径の円を円周の四分の一ずつ重ねて形作られる「七宝文様」は別名「輪違い文様」とも呼ばれます。「七宝」の名は、四方に広がる文様という意味の「四方」から仏教の七宝に転じたと言われています。その吉祥性のある名前から「宝尽し文様」と呼ばれる縁起のよい宝物(木槌・宝珠・笠など)を集めた文様の中にも取りこまれるなど、縁起の良い文様として広く親しまれています(chapt1)。
     七宝文様は、円周の四分の一ずつを重ねる繰り返しの文様であるため、地文様としてもしばしば使われています。たとえば江戸時代に出版された下図の紋帳(家紋の名前とその形状が紹介された本)には、七宝文様(ここでは「輪違い」と紹介)の書き方が紹介されています。図2には十字の格子を引き、その直線同士が交わる所に「ぶんまわし」(今のコンパス)を立てて円を書けばよいと記されています。
    [紋所帳] 文化13(1816)年 
    arcBK03-0012 立命館大学ARC蔵 
     また、「市川団十郎」初代豊国画(001-0788 早稲田大学演劇博物館蔵)のように、浮世絵の中で着物に七宝文様が描かれることもあります。七宝文様は形としてもアレンジしやすかったようで、こちらの絵には蝙蝠や牡丹もあしらい、歌舞伎役者市川団十郎にちなんだデザインにしています。ちなみに羽織や着物の裾には市川団十郎の俳号である「三升」にちなむ「三筋格子」も描かれ、着ている物がすべて市川団十郎を連想できるデザインになっています。
    chapter1

    宝尽し文様

    型紙にも上図のように七宝文様は頻繁に用いられていたことがわかります。キョーテックコレクションでは、現在までに約180点を確認しています。七宝文様はさまざまに利用されていますが、ここからは「ちょっと気付きにくい」七宝文様を紹介してみたいと思います。
    chapter2

    地文様として

     画面中央に大きく松が配され、よく見ると地に楕円形の七宝文様が用いられています。七宝文様を形作るためには地紙をあまり彫刻していませんが、一方で松の大部分を彫り抜いているので、松がはっきりと浮かび上がるようになっています。七宝文様の輪郭は点で構成されているため、遠目からは一本の線のように見え、地文様として主張しすぎないようにデザインされています。
    chapter3

    紗綾形を構成する七宝

     一見すると「紗綾形文様」と呼ばれる卍を崩して繋げた、直線的な幾何学文様に見えます。しかし拡大してみると、紗綾形を構成している文様が七宝文様であったことに気付きます。上図の紗綾形文様は、七宝文様を形作る「弧」によって構成されていて、この型紙には直線が一本も使われていないのです。また、紗綾形文様は画面に大きく配されていますので、遠目から見ることにより、直線で構成される紗綾形に見えるよう、私たちの視覚をも利用してデザインされたと考えられます。型彫り職人の工夫や発想に加え、デザインがどのように見えるのかを視野に入れた構成に改めて驚かされます。
    このように七宝文様は、前面に出ている場合もあれば、地文様としてやや隠れている例もあります。身の回りにも実は、七宝文様が隠れているかもしれません。
    【参考文献】
    『原色染織大辞典』淡交社、1977年
    『日本の伝統文様』東京美術、2006年
    早稲田大学演劇博物館所蔵浮世絵閲覧システム
    http://www.enpaku.waseda.ac.jp/db/enpakunishik/
    立命館大学ARC書籍閲覧システム
    http://www.dh-jac.net/db1/books/search.php
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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