工夫で生まれる楽しさ 網
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夏の文様

    網1
    網2
     漁に使用される投網(とあみ)は円錐形になっていて、それを水面に投げ広げて使います。投網を棒にかけて干す様子を表現したものを網干(あぼし)と呼び、千鳥などとともに海の風景として意匠化されました。江戸時代の小袖にも、網干はしばしば登場します(梅樹網干海松貝模様小袖)。また、網目は模様としても面白さや使いやすさなどもあり、型紙の中で道具としての網ではなく、模様としてさまざまに使用されました。ここでは、網目模様がどのように型紙の中で使われてきたのか、いくつかご紹介したいと思います。


    chapter1

    網干に千鳥と幾何学

     はじめにご紹介するのは、千鳥と網干に三角形が放射線状に並んだ型紙です。実は、この型紙には様々な彫刻技法が駆使されています。
     まず、千鳥の顔周辺は「突彫」と呼ばれる、刃先を薄く鋭く整えた彫刻刀を使用する技法が採用されています。直線や曲線を自由に表現できるため、千鳥の顔は石垣や網目、青海波模様になっています。一方、顔から下は「錐彫」と呼ばれる、刃先が半円か円形に整えられた彫刻刀により小さな孔が彫刻されています。小さな円が並んで千鳥の体の曲線を表現しているので、とてもかわいらしい印象を与えてくれます。なお、錐彫は網干にも使用されています。そして周囲の三角形は、「道具彫」と呼ばれる刃先がさまざまな形に整えられた彫刻刀を使用する技法によるものです。
     一枚の型紙にさまざまな彫刻技法を見ることができる、ちょっと珍しい例です。(KTS04178)
    chapter2

    千鳥に霞と網

     次にご紹介する型紙は、千鳥と霞が配され網目が背景全体を覆っています。この型紙は突彫によるものですが、網目も千鳥も非常に小さく表現されていて、型紙の大半が彫り抜かれています。輪郭線も細いため、かなりの彫刻技術が必要とされたことでしょう。また、地紙の大半が彫刻されているため、一つ間違うと地紙と模様とが切れてしまいますが、切れてしまわないよう、細心の注意を払ってデザインされています。(KTS06129)
    chapter3

    梅に藤

     最後にご紹介する型紙は、藤と梅を組み合わせています。藤の花は、縞のように3列に並び、その上に梅の花と藤の蔓が配されています。また、梅の花の内部は網目模様で充たされています。網という道具ではなく、模様として網目が使われています。
     この型紙もまた突彫によるものですが、地紙を彫刻する面積が非常に広く、藤の葉や梅の花の輪郭線が細くなっています。染色の工程では、布地の上に型紙を置き、防染糊を塗布していくため、模様の線が細いと型紙が壊れてしまう可能性も高くなります。そのため、この型紙には「糸入れ」と呼ばれる補強がしてあります。模様を彫刻した型紙を2枚にはがし、その間に細い絹糸をはりめぐらせ、2枚の型紙を貼り合わせると補強になります。細い糸が見えますが、それが糸入れされた痕跡です。一部の糸はすでに切れてしまっていますが、糸入れをおこなうことにより、型紙の道具としての強度とデザイン性を保っていたのです。 (KTS02225)
     本来は道具として使われる網ですが、それをデザインとして使うとまったく別のものとして生まれ変わり、型紙のなかに溶け込んでいることがわかります。
    【参考URL】
    文化遺産データベース「梅樹網干海松貝模様小袖」
    https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/173694/1
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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