豊かさの象徴 雀
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    雀1
    雀2
     私たちの周りに何気なく、雀はいます。雀を題材とした絵画は古くから描かれますが、とりわけ「竹に雀」は自然の情景でもあることから、絵画や工芸作品のデザインにもしばしば取り上げられてきました。
    chapter1

    竹に雀

     『日本国語大辞典』には「竹に雀」が「(取り合わせのよいものとされるところから)図柄として、また、一対として格好なものにたとえる」と説明されていて、取り合わせのよい代表格として扱われています。(KTS02039)

     型紙にも雀文様が採用される例も多く、キョーテックコレクション約18,000枚のうち現段階で143枚の雀文様の型紙を確認しています。

    chapter2

    竹に雪輪雀

     この型紙は「ふくら雀」と呼ばれる、まるまるとした雀をデザインとして使用しています。「ふくら雀」はふとったような雀の子、あるいは寒気を防ぐため全身の羽毛をふくらませてふっくらと見える雀を指します。そのため、冬の情景として表現される例が多くあります。この型紙も雀の周囲を「雪輪」が囲んでいて、冬の情景を想起させます。また、「ふくら」が「福良」ともつながり縁起がよいとされたことから、雀文様の多くはこのような「ふくら雀」の形で表現されています。(KTS03598)
    chapter3

    竹に雀

     続いてこちらの型紙は、縞文様の中に「ふくら雀」と竹が大きく配されています。かなりデフォルメされているように感じますが、節や葉の存在から竹であると判断できます。こちらの型紙は、遠目に見ると縞の中に竹と雀が浮かび上がっているように感じますが、拡大してみると、彫刻技術の高さをうかがうことができます。竹や雀の輪郭を表現するために、彫刻する直線の幅を少しずつ変えているのです。また、竹と雀の輪郭線を際立たせるため楕円形に小さな粒が彫刻されています。こちらはおそらく「道具彫」と呼ばれる、彫り抜く形をした彫刻刀を使用した技法によるものと考えられます。加えて、この型紙は本紙の大半を彫刻しているため、型紙が破れたりずれたりして染色工程で防染糊が正確に塗布できない可能性があります。そのため、染色工程でデザインが崩れてしまわぬよう「糸入れ」と呼ばれる絹糸を使用した型紙の補強がほどこされています。 この型紙は、離れて見ると大柄なデザインですが、近づいて見ると型紙の技術を目の当たりにすることができ、印象が随分と変わる型紙の一枚でしょう。(KTS17788)
    chapter4

    変わり麻の葉

     最後にご紹介する型紙は、複数の文様を使用するだけではなく、もとの形をアレンジして形作られたデザインです。この型紙は、縦、横、斜めの直線により構成された「麻の葉文様」ですが、直線には竹の節を確認することができ、麻の葉文様の中の菱形は、雀が向かい合う「向い雀」になっているのです。顔と胴体はまんまるとしたままで「ふくら雀」の要素を残しつつ、羽根は、麻の葉文様を構成する菱形におさまるように調整されています。麻の葉、竹、雀はそれぞれ伝統的な文様ですが、少しずつアレンジすることにより、まったく別のデザインを形作ることができるのです。このような自由自在なアレンジは、麻の葉文様のシンプルな形状がうまく活かされた例といえるでしょう。(KTS08971)
     雀文様の多くは、実際のかたちをデフォルメし、現実には存在しえないデザインです。しかし、実在のかたちにとらわれることなく、さまざまに楽しんで新たなデザインを制作していた様子を型紙からうかがうことができるのです。
    【参考文献】
    岩崎治子『日本の意匠事典』1984年
    岡登貞治『文様の事典』1968年

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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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