一見は単調、無限の可能性 縞
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    縞1
    縞2
       普段私たちが着る衣服や日常品にも縞、ストライプは頻繁に使われていてお馴染みでしょう。縞は平行するいくつかの直線により構成され、その方向により縦縞や横縞、古くは交差する文様も縞と呼ばれていたそうです。また、もともと「島」の字があてられていたそうで、東南アジアの島々からもたらされた織文様であるから「島」と呼ばれていたという説もあります。当初、縞は織文様として日本へもたらされましたが、今では染も織も縞と呼ばれています。そのため、縞は型染によってもさまざまに表現されています。
     縞文様を染めるための型紙は、おもに「縞彫」と呼ばれる技法により製作されます。縞彫は、型紙に定規をあてながら彫刻刀を引いて直線を彫っていきます。縞彫では非常に細い筋を彫刻することが可能で、一寸(約3cm)に24本以上の筋を彫刻する「微塵筋」(みじんすじ)と呼ばれるものもあります。
     キョーテックコレクションの型紙約18,000枚をみてみると、縞とモチーフを組み合わせたデザインも含めて800枚以上に縞が使用されていて、人気の高さがうかがえます。
    chapter1

     こちらの型紙は縞彫により製作された型紙です。縞の太さや間隔の異なる直線が彫刻されています。ほんの少し縞の太さや間隔を変えることにより、遠目からはグラデーションがかっているようにも見えます。また、細い直線を彫刻するため、補強のために型紙の間には細い絹糸を張る「糸入れ」がほどこされています。拡大図を見てみるとわかりますが、薄く見える横向きの直線が糸入れの絹糸です。
    (KTS16717)
    chapter2

     次の型紙は、「道具彫」によって表現された縞の型紙です。道具彫は、さまざまな形に整えられた刃の彫刻刀を使用する技法で、刃の形を工夫することで多様な文様を彫り抜くことが可能です。この型紙にもさまざまな刃の形をした彫刻刀が使用されていて、細かな文様の一つ一つが丁寧に彫刻され、それらが繋がることで直線を構成しています。遠目からは太い直線と細い直線の縞にみえますが、近づいてみると非常に細かな文様の集合体であることがわかり、距離感によって見え方が異なる型紙です。(KTS01042)
    chapter3

    菊蝶に縞

     最後にご紹介する型紙は、背景に縞、菊と蝶が全体に配された型紙です。この型紙は「突彫」によるものと思われます。突彫は、先端が鋭く薄く整えられた彫刻刀を使い、絵画的なデザインを彫刻するのに適しています。非常に細い直線を彫刻するかたわら、菊や蝶の曲線を表現したこの型紙は、型彫師の技術の高さがうかがえます。また、背景の縞と菊の中にある縞とは間隔が異なっているため、菊の花が浮かび上がるようにもみえ、直線を巧みに用いて視覚的にも工夫された型紙と言えるのではないでしょうか。(KTS00367)
     直線により構成される縞。一見、単調な文様に見えてしまいますが、工夫の仕方により無限とも言えるデザインを生み出すことが可能です。だからこそ、現代にも縞は広く親しまれているのかもしれません。
    【参考文献】
    『近世風俗志(守貞謾稿)』(3)岩波文庫 1999年
    並木誠士監修『すぐわかる日本の伝統文様―名品で楽しむ文様の文化』東京美術2006年
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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