三角形による多様性 鱗
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    鱗1
    鱗2
     鱗(うろこ)は魚類や虫類の表面を覆い、体を保護している小片を指します。一方、文様の場合は三角形の頂点が合うように組み合わされたものをいいます。実際の鱗は三角形とは限りませんが、なんとなく連想できるように文様の名前がつけられていますね。一方、芸能の衣裳でもちいられる場合は、鱗文様の衣裳を着用した女性は、鬼女や蛇体である場合が多く、人物の背景を暗喩する表現に用いられます。また、軍記物語である『太平記』には北条氏が三つ鱗紋を家紋とする発端が語られます。鱗文様は、古くから使われることによって様々なイメージが生まれ、そしてイメージも一つにはとどまりません。

     おもに布地を染めるために制作された型紙でも鱗文様のデザインが見受けられますが、鬼女や北条家の家紋というイメージよりもむしろ、「かたち」を組み合わせてデザインとして楽しんでいた様子がうかがえます。

    chapter1

     こちらの型紙は、鱗文様の中にさらに鱗文様が入るようなデザインになっています。型紙を彫刻する技法は、2種類使われています。直線で型紙が切り取られている箇所は、「突彫」と呼ばれる技法によります。刃先を薄く鋭く整えた彫刻刀によって直線や曲線を彫刻することができます。一方、点で鱗文様が構成されている箇所は「錐彫」と呼ばれる技法によります。こちらは、彫刻刀の刃先が半円形に整えられていて、型紙に彫刻刀をあてて半回転することで小さな円を彫刻して、円の集合によって直線や曲線を彫刻するのです。2種類の技法を使い分けることによって、同じ鱗文様でありながら大きく印象が異なります。(KTS00101)

    chapter2

     次の型紙は、すべて錐彫によって表現された鱗文様です。目を凝らしてみると小さな円によって二等辺三角形が構成されていることがわかります。文様を構成しているのは、たった6つの小さな円ですが、間隔が均等に揃うことで鱗文様が形作られていくのです。シンプルなデザインですが、少しでも彫刻の位置がずれてしまうと型紙全体の中で非常に目立ってしまいます。型彫師は細心の注意を払いながら一つ一つ彫刻していったのでしょう。(KTS11348)
    chapter3

    麻の葉に藤

     最後にご紹介する型紙は、正三角形をつなげた鱗文様により構成されています。鱗文様は基本的に二等辺三角形が繋がっていることが多いのですが、アレンジされたものとしてご紹介したいと思います。
     こちらの型紙は、突彫と錐彫によって構成されています。三角形の内部は麻の葉文様が敷き詰められたものと藤の花が三方向にのびたものとがあります。麻の葉文様は直線によって構成されますので、型紙を彫り抜く面積が大きくなっていて、直線を彫刻することが非常に難しかったことが想像されます。一方、藤の花も曲線で構成される上に花弁も多いので、型彫りの高い技術が必要とされたことがわかります。この型紙は、すべて突彫で彫刻されていますが、そうとは思えないほど曲線と直線が対照的です。(KTS01360)
     鱗文様は、時に対象の人物やものの意味を暗示するように働きます。そのため、文様の意味が優先されるようにも思えますが、かたちとしてはすべて直線によって構成されるため、アレンジの幅に広がりのある文様ともいえます。意味だけではなく、かたちとして文様を見ることもまた、デザインを楽しむ要素の一つなのではないでしょうか。

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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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