野に現れる秩序 雪輪
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冬の文様

    雪輪1
    雪輪2
     日本では「雪月花」という言葉からわかるように、月や花とともに景物として親しまれてきました。雪は冬の景物であることから、笹や松に雪の積もる様子をデザイン化した「雪持笹」や「雪持松」などがよくみられます。また、涼感を表現するために浴衣や帷子など夏に着用する衣類に雪がモチーフとして用いられることもよくあります(≪帷子 黒紅麻地扇面雪輪手筥秋草模様≫など)。ここに挙げた帷子に雪輪があらわされています。雪輪文様とは、六弁の花のように描く雪の結晶を象ったものといわれています。布地を染めるために使用された型紙にも雪輪があらわされていますので、いくつかご紹介したいと思います。
    chapter1

    雪月花

     はじめに紹介する型紙は、雪輪とその内部に桜の花、そして兎があらわされています。雪と月(兎)と花(桜)ということなのでしょう。この型紙は、「錐彫」と呼ばれる非常に径の小さな半円あるいは円形の彫刻刀を回転させることによって細かな円形を彫り抜く技法により、雪輪と兎が彫刻されています。なお兎の目は、少し大きな径の彫刻刀によるものでしょう。一方、桜の花弁は「道具彫」と呼ばれる四角や三角などさまざまな形に刃先を整えた彫刻刀を型紙に押し当て彫り抜く技法によるものです。この型紙の場合は、花弁一枚の形に整えられた彫刻刀が使用されたのでしょう。桜の花はよく見ると、五枚揃ったものとそうでないものが混在していて、デザイン上の工夫が垣間見えます。(KTS01092)
    chapter2

    雪輪に竹に雀

     次に紹介するのは、「突彫」による型紙です。薄く鋭く整えられた刃を使用する突彫は、曲線を自在に彫刻できることから、絵画的な表現を得意としています。この型紙も雀、竹、雪輪のなかに変わり麻の葉が曲線を多用しながら彫刻されています。竹に雀の組み合わせは非常に多く、その中に雪輪があるということは冬の情景を表現したものなのでしょうか。 また、この型紙は彫刻する部分が多いため、補強として「糸入れ」がほどこされています。細い絹糸を縦横に張ることにより、染色工程での型紙のずれや破損を防ぎます。(KTS08946)
    chapter3

    雪輪に麻の葉千鳥

     最後に紹介する型紙も錐彫による彫刻です。こちらは、千鳥や麻の葉などが一緒にあしらわれています。また、雪輪の中に萩や桔梗、菊の花があらわされていて、雪輪自体が枠のように使われています。雪輪はこのようにモチーフを引き立たせるように使われることもよくあります。そして、雪輪の輪郭線は少し径の大きな彫刻刀が使われていて、雪輪が際立つように計算されています。(KTS07192)
    「真写月花之姿絵」「しうか」
    落合芳幾画 慶応3(1867)年
    立命館大学アート・リサーチセンター蔵
    たとえば、多色摺版画である錦絵も雪輪を枠のように使うことがありました。幕末に出版された「真写月花之姿絵(まことのつきはなのすがたえ)」は歌舞伎役者の影絵をメインに描いたシリーズですが、役者の素顔を上部の雪輪枠に描いています。シリーズタイトルと枠を合わせて「雪月花」になりますね。

     雪輪がさまざまな形で用いられる様子を紹介しましたが、雪は古くから日本の景物として重用されてきたことに加え、雪輪が一種の飾り枠としても使うことができ、デザインとしても用途が広いため、頻繁に使用されたのかもしれませんね。
    【参考文献】
    並木誠士監修『日本の伝統文様』東京美術 2006年
    文化遺産データベース帷子 ≪黒紅麻地扇面雪輪手筥秋草模様≫
    https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/344660
    立命館ARC所蔵・寄託品浮世絵データベース
    https://www.dh-jac.net/db/nishikie/search.php
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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