人物を象るデザイン
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     型紙にはさまざまなものがデザインとして使われていますが、実は「人物」をデザインに使った型紙はあまり多くないようです。現存する数が少ないので、制作された割合も低かったのではないかと推測されます。人物をデザインとして使った型紙はあまり多くありませんが、彫刻されたデザインをよく見ると、いろいろわかることもあり、少し掘り下げてみたいと思います。


    chapter1

    大津絵

     まずは「大津絵」のデザインを使った型紙です。「大津絵」とは、江戸時代に近江で売られていた民衆絵画のことです。仏画や教訓的な絵などさまざまな画題が描かれていたようですが幕末の「大津絵節」の流行にともない、「外法梯子剃」「雷と太鼓」「鷹匠」「藤娘」「座頭と犬」「鬼の念仏」「瓢箪鯰」「槍持奴」「釣鐘弁慶」「矢の根五郎」の10種が描かれるようになっていきました。こちらの型紙は「瓢箪鯰」を確認することはできませんが、そのほかは全て彫刻されています。それぞれの人物が一枚の紙に描かれたように構成され、あたかも絵画が散りばめられたようなデザインになっています。
     こちらの型紙は、「錐彫」と呼ばれる半円形に整えられた彫刻刀を半回転させて小さな孔を彫刻する技法と、さまざまな形に整えられた彫刻刀を型紙に押し当てて彫り抜く「道具彫」が使用されています。人物の持ち物、表情に至るまで、彫刻刀を使い分けながら表現されています。
    chapter2

    善玉悪玉に影絵

     次にご紹介する型紙は、一枚の絵のような構図です。扇形に画面が象られ、障子に映る人影や「善」「悪」と書かれた二人がお酒を酌み交わしています。この型紙は、すべて「突彫」と呼ばれる鋭く、薄く整えられた彫刻刀を使った技法によるもので、障子は型紙の彫り抜かれている面積が多いので、壊れてしまわないように絹糸を使って補強されています。
     さて、この型紙はどういった場面を表現しているのでしょうか。少しずつ紐解いていきましょう。
    真写月花之姿絵
    「真写月花之姿絵」 「しうか」立命館大学ARC蔵(arcUP3769)
     まず障子に映る人物のシルエットですが、こうした表現は幕末の錦絵でもしばしばおこなわれていて、「影絵」と呼ばれました。錦絵では特に、幕末から明治初期に人気があったジャンルです。有名な影絵の錦絵シリーズとしては、慶応3(1867)年に出版された落合芳幾による「真写月花之姿絵(まことのつきはなのすがたえ)」 ではないでしょうか。このシリーズで芳幾は歌舞伎役者36名の横顔をシルエットで描いています。こちらの錦絵は、幕末に人気を博した初代の坂東しうかという女形を描いています。多色摺が可能であるにも関わらず、歌舞伎役者の横顔や特徴を墨一色で表現しているのです。
     人物のシルエットを使った型紙は、今回紹介したものだけではなく、ほかのコレクションにも見られます。おそらく、型染による染まる箇所と染まらない箇所というものが、影絵の方法とうまく合い、型紙のデザインにも取り入れられたのでしょう。
    さて、丸の中に「善」「悪」と描かれた人物も気になります。これは、善人と悪人を示したもので、こうした表現方法は山東京伝による、絵入り短編小説である草双紙『心学早染艸』(1790年)から始まったと言われています。人の心にある「善」と「悪」の心を擬人化していて、錦絵や挿絵にも善と悪に引っ張られる人々の様子が描かれました。
     また、この型紙には「狐拳」の文字も右上にみられます。狐拳とは、今でいう「じゃんけん」の一種です。狐、庄屋、鉄砲(猟人)の三種類があり、狐は庄屋に勝ちますが鉄砲に負け、庄屋は鉄砲に勝ちますが狐に負け、鉄砲は狐に勝ちますが庄屋に負けるというものです。この型紙では直接狐拳の様子は表現されていませんが、狐拳をする芸者が描かれ、その後ろには障子に映る宴席の様子を描いた錦絵の作例(菊川英山「風流きつねけん」)などもあります。
     人物がデザインに使われた型紙を見ていくと、絵画との繋がりが垣間みえます。絵画と染色の影響関係も興味深いところですね。
    【参考文献】
    サントリー美術館『「影絵」の19世紀』1995年
    国際浮世絵学会編『浮世絵大事典』2008年
    城西大学水田美術館 水田コレクション
    立命館大学ARC所蔵浮世絵データベース
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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