縁起の良い昆虫 蜻蛉
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夏の文様

    蜻蛉1
    蜻蛉2
     蜻蛉(とんぼ)をみかけるようになって季節の移ろいを感じる方も多いのではないでしょうか。蜻蛉は「あきづ」という古名があり、秋津島(あきつしま/あきづしま)は日本の古称でもありました。「あきづ」という語は、豊穣の意味とも結びついていたようです。
     また、蜻蛉は「かちむし(勝虫)」とも呼ばれたため、武士の間で好まれました。戦での縁起をかついで武具のデザインに蜻蛉が使われたようです。
    「蜻蛉模様刺繍 陣羽織」
    なども現存しています。

     縁起のよい昆虫である蜻蛉は、型紙の中でどのようにデザイン化されているのでしょうか。蜻蛉をデザインとして利用している型紙はキョーテックコレクション約18,000枚の内11枚が確認できます。菊や梅などの花に比べると、モチーフとして使用される頻度は低いです。縁起の良い昆虫と考えられていますが、型紙のデザインの中でスタンダードとまではいえないようです。
    chapter1

    蜻蛉と小花

      はじめに紹介する型紙は、蜻蛉と小花が型紙全体へ配されています。小花も蜻蛉も小さいので、かわいらしい印象を受けます。こちらの型紙は「道具彫」とよばれる刃先の形がさまざまに整えられた彫刻刀によって制作されました。花弁に使用される水滴のような形や小さな円形などをはじめとして、数種類の彫刻刀を使って蜻蛉や小花の形を完成させています。拡大してみると、一つ一つのモチーフの形が少しずつ異なっていて、手仕事ならではの揺らぎがあります。じっくり見ていると、それぞれのモチーフに個性があるように感じられます。 (KTS11721)
    chapter2

    蜻蛉突彫

      次に紹介する型紙は蜻蛉だけが型紙全体に配されています。こちらの型紙は「突彫」と呼ばれる鋭く薄く整えられた彫刻刀を使う技法により制作されています。絵画的な彫刻を得意としているので、蜻蛉の尾の曲線が見事に表現されています。この型紙は多くが上から蜻蛉を見た姿を彫刻していますが、蜻蛉を横から見た姿で彫刻されているものもあります。また、羽も内側を彫刻したものと外側を彫刻したものがあり、型紙全体でメリハリをつけるように工夫されていたことがわかります。
    chapter3

    蜻蛉立涌

     最後の型紙は立涌文様の中に蜻蛉が配されています。立涌文様は一定の間隔の曲線のふくらみとへこみが交互に伸び、それが左右対になって構成された文様です。内側に菊や雲などを配すことが一般的なので、蜻蛉との組み合わせは珍しいのではないでしょうか。立涌の曲線も形状から、つる性の植物を彷彿とさせます。蜻蛉の形は単純化されていて、2匹の蜻蛉が向かい合わせになっています。また、蜻蛉の輪郭を残すものと内側を彫刻する2種類が交互に配されていてデザインに抑揚がつけられています。こちらの型紙も突彫によって制作されたと考えられます。 立涌と蜻蛉はいずれも古くから親しまれてきたモチーフですが、両者が組み合わせとなるとなんだか急にモダンな印象を受けます。
    紹介した型紙に配された蜻蛉はいずれも単純化し、丸みを帯びた形にすることで、実在の蜻蛉よりもかわいらしい印象を持つのではないでしょうか。基本的な形は残しつつも丸みを加えることでデザインとして親しみやすいよう工夫されてきたように感じます。
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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