糸の足跡 絞り
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    絞り1
    絞り2
     絞り染めとは、糸で括ったり、縫ったりして防染して布地を染める技法の一つです。世界中で古くから行われ、大きく分けて2種類あります。一つは、布の一部を糸で強く巻き締めて防染し、模様を出す「巻締め」と針と糸で布を縫い、その糸を引き締めることによって防染し、模様を出す「縫締め」と呼ばれる技法があります。いずれも非常に手間がかかりますが、絞り独特の風合いや粒の細かさが憧れの的となっていました。
     江戸時代には奢侈禁令が幾度となく発せられ、コストのかかる鹿の子絞りは禁止の対象となりました。しかし、「型鹿の子」などのように型染めで表現するなど、絞りの風合いをコストのかからない型染に置き換えたり、型染でなくては表現できない絞り風を表現したりして、デザインを愉しみました。特に明治期以降は、捺染技術の発展と需要の拡大で型紙を使った絞り風模様は増えていったようです。
     そこで、キョーテックコレクションから型紙で表現した絞り風模様をいくつかご紹介し、「絞り」への憧れ、そして、それを越えるような工夫をみてみたいと思います。


    chapter1

    蜘蛛絞り

     こちらの型紙は、円形で中心から放射状に不規則な線がのびています。この模様は、「蜘蛛絞り」と呼ばれる技法を模したものと思われます。「突彫」と呼ばれる、刃先を鋭く薄く整えた彫刻刀を使用する技法で彫刻されています。突き彫りは、線を自由に彫刻することができるので、絞り独特の不規則な線や染まり方を型紙の上で表現しています。また、型紙の補強のために、絹糸を使った「糸入れ」も施されています。
    chapter2

    蝶に紗綾形

     次,に紹介する型紙は、背景に紗綾形、前面に蝶が彫刻されています。蝶の羽根が蜘蛛絞り風に表現されています。紗綾形の直線は、「道具彫」によるものです。道具彫で使用する彫刻刀は、刃先がさまざまな形に整えられていて、それを型紙にあてて押し抜くことで模様が彫刻される技法です。こちらの型紙は、鳥の足のような模様で直線が表現されています。直線が少しかわいらしくみえますね。
    chapter3

    絞りに松

     最後に紹介する型紙は、蜘蛛絞り風の模様と松が全体に配されています。松の輪郭線は、横向きの直線を縦に並べて表現しています。こうした方法により、松は絣織で特有の絣足が表現されています。絣は本来、織によって表現されるものですし、絞り染めも布を括ったり、締めたりして模様を表現します。本来の技法では、一緒に表現することは非常に難しいでしょう。しかし、型紙の彫刻を駆使することにより、絣風と絞り風のデザインが一緒に表現されていて、ある意味本物を越えた表現方法ともいえます。また、代替する方法で登場することからも、絣や絞りに対する憧れがみてとれます。
     簡単には手に入らないデザイン、もの。だからこそ何とか工夫して手に入れたいと思うのが人の心なのでしょうか。
    【参考文献】
    『世界の絞り』文化学園服飾博物館 2017
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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