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京都・上賀茂神社の神紋はフタバアオイですが、これは神事で使用していたことから上賀茂神社を象徴する紋として使われるようになったそうです。また、賀茂祭でもフタバアオイが使われていることから現在も毎年五月に開催される「葵祭」の名が広まったとも言われます。一方、徳川家の紋は、フタバアオイの葉をクローズアップして三枚配置した葵巴と呼ばれます。徳川の家紋のように、フタバアオイはデザインとして広まるにつれて徐々に簡略化され、実際の植物からは離れてしまいました。型紙を見ていくとさらにアレンジを加えられた葵の文様を見てとることができますので、いくつかご紹介したいと思います。
chapter1
錐彫の葵
こちらの二枚の型紙は、いずれも葉が二枚ありフタバアオイを模したデザインになっています。一枚目は、茎の一部が突彫と呼ばれる薄く鋭く研いだ彫刻刀によるものと思われますが、それ以外は錐彫と呼ばれる技法によるものです。錐彫とは、彫刻刀の刃先が半円になっていて、それを回転させることにより小孔を彫り抜く技法のことで、小孔をつなげて直線や曲線を表現します。二枚とも、遠目からは葵文様とはわかりませんが、近づくと葵文様が彫刻されているとわかります。そして、いずれも小孔が均等に配置されているため、葵の葉が際立つようになっています。小孔の位置や間隔が均等でないと曲線は崩れてしまいます。一つ一つの彫刻にどれほど集中していたのか伝わってきます。(KTS05246/KTS02562)
chapter2
源氏香と葵
また『源氏物語』9巻の巻名は「葵」であることから、別のモチーフと組み合わせて『源氏物語』を連想させるデザインもあります。こちらの型紙は、葵の葉と源氏香が配されています。源氏香とは、香の異同をかぎわけて5本の縦線と横線を組み合わせた図で示す組香の一種です。その図は52種類あり、それぞれに源氏物語の各帖の名前がつけられています。
chapter3
源氏車に葵
次の型紙は、葵と源氏車の組み合わせの型紙です。源氏車とは、御所車の車輪をデザイン化したもので、こちらも二つのモチーフが『源氏物語』を連想させるように意図されています。(KTS05246)
chapter4
葵に唐草
最後にご紹介する型紙は、葵と唐草の組み合わせです。実在するフタバアオイの茎とは異なっていますので想像上のデザインです。また、唐草自体が特定の植物を模した文様ではありませんし、葵の葉もかなりデザイン化されています。なんとも不思議なデザインですが、実在しているようにも見えてしまいます。葵も唐草もデザインとして浸透していたからこそ、組み合わせとして成立したのかもしれません。(KTS12891)
実在した植物もデザインとして広まることにより、形を変えていきますし、デザインだからこそ表現が可能となる組み合わせも数多くあります。あらためて身の回りにあるものを忠実に、時には大胆にデザイン化してバリエーションを豊かにしてきたのだと気付かされます。
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(c) KYOLITE Co.,ltd. Mizuho Kamo
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- 世界に誇る京の型紙デザイン -
当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。
時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。
旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!
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4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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