無限の生命力 蔦
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秋の文様

    蔦1
    蔦2
    蔦は葉の形とつるが印象的な植物です。蔦の中には、常緑のものと秋に紅葉するものとがあります。こちらの歌舞伎役者を描いた役者絵には、紅葉した蔦とつるが描かれています。お三輪という娘役を演じるため、袖や裾に蔦が配された振袖を着用した姿で描かれています。緑系統の地色の振袖に黄色や赤の紅葉した蔦が際立ちます。 蔦は、現在も家屋の外壁にはわせている様子を目にすることもあり身近な植物ですが、型紙の中ではどのように蔦が表現されているのでしょうか。
    「酒や娘おみわ 中村歌右衛門 一世一代」
    文化12(1815)年 初代歌川国貞
    立命館ARC蔵(arcUP2164)
    chapter1

    蔦に唐草

    はじめにご紹介する型紙は、蔦と唐草が配されています。「突彫」と呼ばれる薄くて鋭い彫刻刀を用いる技法によるもので、絵画的な表現を得意とします。全体として大柄ではありますが、蔦の葉脈は非常に細い線で表現されています。 蔦がつるを伴う植物であるためか、現実的にはあり得ませんが、デザインの中で蔦と唐草が一緒に用いられることがしばしばあります。(「蔦に唐草」KTS01092)
    chapter2

    次に紹介する型紙は、ぎっしりと蔦の葉が敷き詰められています。葉脈は、小さな円が並んで表現されています。これは「錐彫」と呼ばれる半円か円形の彫刻刀を地紙に押し当てながら回転させて小さな円を彫刻する技法によります。そのほかの葉の輪郭部分は、突彫によって彫刻されています。 この型紙は、葉の輪郭のみ残す部分と葉を残すものとに分けられています。同じ蔦の葉ですが、かなり印象が異なるように見えるでしょう。また、型紙が抜け落ちてしまわないように、隣合う蔦同士がつながるように彫刻されていますが、これも、つるのように見えてきます。(「蔦」KTS00858)
    chapter3

    最後にご紹介する型紙は蔦の葉とつるが、やや左に傾くように配されています。この型紙を使って染められた布地は、おそらく遠目から見ると斜め縞のようにみえたのではないでしょうか。 この型紙は、錐彫と道具彫によるものです。道具彫とは、四角形や菱形などさまざまな形に整えられた彫刻刀を使って型紙を彫り抜く技法です。この型紙では、葉脈の部分が楕円形の彫刻刀を使って表現されていると思われます。  葉の輪郭線も小さな円を並べて表現していますが、つるの部分はやや径の大きな彫刻刀が使われています。このほかにも蔦の葉から距離のある背景部分は、少し径の大きな彫刻刀を使用しているため、全体として単調にならないよう工夫されています。(「蔦」KTS04811)
    同じモチーフであっても、使う道具や構図を少し変えてみるだけで印象は大きく変わります。型紙の「見え方」も熟慮しながら制作されていた様子が想像されます。
    【参考URL】
    立命館大学ARC所蔵・寄託品 浮世絵データベース
    http://www.dh-jac.net/db/nishikie/
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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